相続させる旨の遺言により相続財産を承継した相続人は、遺言の利益を放棄することができないとされた事例【東京高決平成21年12月18日】

弁護士

下田 俊夫

  • 1 はじめに

    遺産相続は、相続人にとって、通常、どの財産をどれだけ取得できるかが一番の関心事であるといえます。
    もっとも、財産によっては、例えば、地方の農地など取得しても維持管理できないといった場合、当該財産を取得したくないということもあります。

    相続人が相続の利益を放棄するには、家庭裁判所に対し、相続放棄の申述(民法983条)を行う必要があります。
    包括遺贈がなされた場合に、包括受遺者が遺贈の利益を放棄する場合も、相続放棄の申述と同様の手続を行う必要があります(民法990条)。
    他方、特定遺贈がなされた場合は、受遺者は、遺言者の死亡後、いつでも放棄をすることができます(民法986条)

    では、特定の相続人に特定の財産を相続させる旨の遺言がなされた場合に、受益相続人は、意思表示によって、その遺言の利益を放棄できるのでしょうか。
    例えば、長男に不動産全部を相続させる旨の遺言がなされた場合に、長男は、当該不動産は要らないけれども、不動産以外の財産は法定相続分の割合により取得したいというときに、意思表示により遺言の利益を放棄することができるのでしょうか。

  • 2 学説

    この点についての学説は、①放棄否定説、②放棄肯定説、③制限的放棄肯定説があります。

    放棄否定説は、遺産分割方法の指定及び相続分の指定には特別の承認・放棄の制度はなく、相続人は遺言者の意思に拘束され、これを一方的に変更できないことから、意思表示のみによって遺言の利益を放棄することはできず、相続放棄の申述をすることによってのみ、遺言の利益を放棄することができるとする立場です。
    この立場では、先の例ですと、長男は、不動産とそれ以外の財産を取得するか、不動産とそれ以外の財産を取得しないかの二者択一になります。

    放棄肯定説は、一般に権利利益の放棄は自由であり、遺言者の遺産処分権の行使としてその意思は尊重されるべきではあるものの、相続人からみて一方的に利益を強制されるとするのも相当でなく、特定遺贈について受遺者がいつでもこれを放棄できるとされていることとの対比からしても、相続放棄の申述による手続以外に、意思表示による放棄を認める立場です。
    この立場では、先の例ですと、長男は、不動産は取得せずに、それ以外の財産を取得することができることになります。

    制限的放棄肯定説は、全相続人の合意があれば遺言と異なる遺産分割協議も可能という判例・通説を前提としつつ、共同相続人全員の合意があれば、その遺産分割の合意解除として、遺言の利益の放棄も可能とする立場です。
    この立場では、先の例ですと、共同相続人全員の合意があれば、長男は、不動産は取得せずに、それ以外の財産を取得することができることになります。

  • 3 裁判例

    被相続人が、相続財産(不動産、現金、貯金債権)のうち不動産全部(主として農地)を長男に相続させる旨の遺言をしたところ、不動産の所在地に居住していない長男はその取得を希望せず、法定相続分の割合による不動産以外の財産の取得を望み、他の相続人である長女、次男(他の都市に居住)も同様であったことから、争いになった事案があります。

    長女が申し立てた遺産分割審判事件の手続中に、長男は、遺言の利益を放棄する旨を述べたところ、原審判(前橋家裁太田支部審判H21.4.27)は、被相続人の遺志を重視して、長男に不動産の全部並びに現金及び預金債権を取得させ、長女及び次男には法定相続分の割合により預金債権を取得させる内容の審判をしました。
    要するに、不動産を含めた全財産を3等分して各相続人に取得させるというものでした。

    これに対し不服申立がなされたところ、東京高裁は、原審判を一部変更して、当該不動産は相続させる旨の遺言により長男が取得しており、遺産分割の対象にはならないとし、現金及び貯金債権を3等分して各相続人に取得させる内容の決定をしました(東京高裁決定H21.11.18判タ1330.203)。
    要するに、長男は単独で不動産を取得するほかに現金及び貯金債権の3分の1を取得し、長女及び次男はそれぞれ現金及び貯金債権の3分の1を取得するというものでした。

    相続させる旨の遺言における利益を放棄できるか否か(放棄することにより、当該財産を遺産分割の対象財産とすることができるか否か)について、東京高裁決定は、結論として否定しました。
    もっとも、上記学説のうち、放棄否定説に立っているのか、制限的放棄肯定説に立っているのかは決定文からははっきりしませんが、相続人全員が当該不動産を遺産分割の対象とすることに合意しているときには遺言の利益を放棄することができると解しているように読めることからすると、制限的放棄肯定説に立っているとも考えられます。

  • 4 実務上の注意点

    遺言実務において、相続させる旨の遺言は、比較的多くみられます。
    もっとも、相続させる旨の遺言による受益相続人が、特定の財産のみ放棄したいという場合、上記裁判例によりますと、自己の意思表示のみによっては当該遺言の利益を放棄することは認められません。
    したがって、こうしたニーズがある場合には、相続人全員で合意する必要がありますし、そのような合意形成が難しい場合には、相続放棄することも検討する必要があります。