相続放棄の起算点を相続債務が存在することを知った時とした事例【福岡高決平成27年2月16日】

弁護士

篠田 大地

  • 1 相続放棄の熟慮期間の起算点

    相続放棄の熟慮期間について、民法915条1項では、「相続人は、自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内に、相続について、単純若しくは限定の承認又は放棄をしなければならない。」と定めています。

    したがって、原則としては、相続人は、被相続人が死亡したことを知ってから3か月以内に相続放棄をするかどうか決めて、相続放棄をするのであれば家庭裁判所に申述しなければなりません。

    ただし、判例上例外が予定されており、「3か月以内に相続放棄をしなかったのが、相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、民法915条1項所定の期間は、相続人が相続財産の全部もしくは一部の存在を認識した時または通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。」(最高裁昭和59年4月27日判決)と考えられています。

    このような判例がある中で、新たに相続放棄の起算点を相続債務が存在することを知った時とした裁判例をご紹介いたします。

  • 2 事案の概要

    (1) 当事者について

    本件の当事者は以下のとおりです。
    ・被相続人(昭和63年6月21日死亡)
    ・被相続人の妻 春子
    ・被相続人の子 長男:梅夫(平成20年9月4日死亡)
    長女:抗告人花子
    二男:抗告人太郎
    四男:抗告人松夫

    (2)相続財産について

    ・被相続人は、家族の自宅として佐賀県唐津市○○町△△番の土地及び建物、店舗兼居宅として同市○○町△△番の土地及び建物を所有していました。
    ・被相続人は、店舗兼居宅において、蒲鉾の製造販売業を営んでおり、春子とともに居住していました。
    ・抗告人らは、被相続人が家族の自宅と店舗兼居宅を所有していたことを知っていました。

    (3)被相続人との交流について

    ・抗告人らは、婚姻や大学進学をきっかけに実家を離れて生活するようになり(松夫は昭和44年頃)、以後、被相続人とは同居せず、時々行き来する程度の交流をしていました。

    (4)相続財産等の処理について

    ・抗告人太郎は、被相続人が死亡して間もない頃、春子から、春子が事業を承継するため、被相続人の遺産を分け与えないでよいかと相談されたため、それでよいと回答しました。
    ・抗告人花子及び松夫は、被相続人に係る相続について、春子から相談をされませんでした。
    ・被相続人の死後、春子が事業を営み、梅夫が手伝っていましたが、平成11年ころ廃業しました。抗告人らは、被相続人の生前を含め、事業に関与したことはありませんでした。
    ・平成8年3月28日、春子に対し、自宅及び店舗について、相続を原因とする所有権移転登記手続がなされました。
    ・抗告人らは、春子や梅夫との間で遺産分割協議をしたことはなく、被相続人の積極財産を全く相続しておらず、自宅や店舗について移転登記手続がなされたことも知りませんでした。

    (5)相続債務について

    ・佐賀県は、昭和50年8月22日、唐津蒲鉾協業組合に対し、1億8182万円を貸し付け、被相続人は、そのころ、連帯保証しました。
    ・本件組合は、平成25年4月22日、破産手続開始決定を受け、佐賀県は、平成26年5月12日付で抗告人らに対し、保証債務を法定相続したとして、貸付金残金(元金5077万2000円)の償還にかかる通知を行いました。

    (6)各申述について

    抗告人らは、平成26年7月23日、本件各申述をしました。

  • 3 抗告審の判断

    抗告審は、原審判を取消し、相続放棄の申述を受理しました。

    その理由は以下の通りです。
    ・相続人が相続財産の一部の存在を知っていた場合でも、自己が取得すべき相続財産がなく、通常人がその存在を知っていれば当然相続放棄をしたであろう相続債務が存在しないと信じており、かつ、そのように信じたことについて相当の理由があると認められる場合には、熟慮期間は、相続債務の存在を認識した時又は通常これを認識し得べき時から起算すべきものと解するのが相当である。

    ・抗告人らは、被相続人が死亡した当日に死亡の事実を知ったが、上記事実を知った時から3ヵ月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのは、被相続人に係る相続財産は全て春子が相続するから、抗告人らが相続すべき相続財産が全く存在せず、かつ、被相続人に係る相続債務は存在しないものと信じたためであり、上記事情からすれば、抗告人らがそのように信じたことについて相当な理由があると認められる。

  • 4 まとめ

    本件の抗告審では、上記のとおり、相続放棄の申述を受理していますが、原審では、相続放棄申述の申立が却下され、相続放棄は認められていません。

    原審は、「申述人らは、昭和63年6月21日当時、主な相続財産の存在を認識していたことが明らかである」と述べたうえ、「被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであるとは認められない」ことを理由に、申立を却下しています。

    これは、上記の昭和59年最高裁判決が述べる例外事由に当たらないということから直ちに、熟慮期間の起算点の繰り延べを否定したように見受けられます。

    一方、本件の抗告審では、相続人が相続財産の一部の存在を知っていたとしても、「自己が取得すべき相続財産がなく、通常人がその存在を知っていれば当然相続放棄をしたであろう相続債務が存在しないと信じており、かつ、そのように信じたことについて相当の理由があると認められる場合」には、熟慮期間は、相続債務の存在を認識した時又は通常これを認識し得べき時から起算すべきものと解しています。

    これは、上記の昭和59年最高裁判決が述べる例外事由に当たらない場合であっても、熟慮期間の起算点の繰り延べを認められる場合があると考えて、相続放棄を認めたものと思われます。

    3か月を経過して相続放棄の申述をしなければならない事例で多いのは、被相続人が会社の経営者であったり事業をしていたりして、連帯保証をしているという事案です。

    この種の債務は、被相続人の死亡時には分からず、時間が経過してから突如債権者から相続人に対し通知されるということがありえます。本件もまさにそのような事案であり、相続人らに責任を負わせるのは酷といえます。

    したがって、本件抗告審が相続放棄を認めたことは妥当な判断であったといえます。