被相続人の死亡後に払い戻された預貯金について、民法906条の2第2項が適用されず、遺産分割の対象財産とされなかった事例(東京高等裁判所令和6年2月8日決定)

弁護士

下田 俊夫

  • 1 相続開始後、遺産分割前に処分された遺産の取扱い

     共同相続人が遺産分割前に遺産に属する財産を処分した場合、現在(分割時)も存在するという要件を欠くため、原則として遺産分割の対象にはなりません。
     改正前民法下では、判例実務において、共同相続人の全員が遺産分割の対象に含める旨の合意をした場合には遺産分割の対象とする扱いをしていましたが、合意がない場合は、原則どおりとなり遺産分割の対象とすることはできませんでした。そのため、当該処分をした者の最終的な取得額が当該処分をしなかった場合と比べると大きくなり、その反面、他の共同相続人の遺産分割における取得額が少なくなるという不公平が生じるという問題がありました。
     改正民法により、遺産を処分した者(処分者)が利得を得ることがないようにするため、民法906条の2が設けられました。
     民法906条の2第1項は、共同相続人全員の同意によって遺産分割前に処分された財産についても遺産分割の対象財産にすることを認めることとした上で、同条第2項で、処分を行ったのが共同相続人の一人である場合には、遺産に含めることについて他の共同相続人の同意があれば遺産分割の対象財産にすることができることとされました。
     同条第2項が適用されるか否かが争われた事案がありますので、ご紹介します。

  • 2 事案の概要

     被相続人Dは、令和2年に亡くなりました。相続人は、夫G(D死亡後の令和4年に死亡)、長男A、長女B、二男Cでした。夫Gが令和3年8月に遺産分割調停を申立てたところ、遺産の範囲について合意に至らず審判に移行しましたが、その後に夫Gは亡くなり、二男Cが夫Gの地位を承継しました。
     長男Aは、長女Bが、相続開始後に、被相続人D名義の預貯金口座から現金約30万円を引き出したとして、引き出した現金を遺産の範囲に含めるべきと主張しましたが、原審の横浜家庭裁判所は、相続開始後の引出金について、長女Bを除く相続人全員の合意がないとして、民法906条の2第2項の適用を否定しました。
     長男Aは、原審の審判を不服として即時抗告しました。

  • 3 裁判所の判断

     抗告審の東京高等裁判所は、次のように判示して、民法906条の2第2項の適用を否定し、被相続人の死亡後に払い戻された預貯金について、遺産分割の対象財産としませんでした。
     「被相続人の死亡後に払い戻された預貯金は、相続開始時に存在した「遺産に属する財産」(民法906条の2第1項)に該当する可能性があるところ、相手方らは、これを遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことに同意していないから、同条2項が適用されない限り、上記の払戻しに係る金員は遺産として存在するとみなされないこととなる。
     そこで、相手方Cや相手方Bが同条2項にいう「共同相続人の一人又は数人」に当たるか否かを検討する。
     この点、一件記録によれば、(中略)相手方Bはもとより、相手方Cも相手方Bに指示するなどして、被相続人の預貯金債権の全部又は一部を払い戻した疑いは払拭できないところである。
     もっとも、民法906条の2第2項の趣旨は、遺産に属する財産を処分した共同相続人が、同意をしないことにより不当な利得を得て、共同相続人間に不公平が生じるのを防止することにあるから、例えば、共同相続人の一人が、被相続人の生前、同人との間で、同人の死亡後における相続債務の支払等の事務処理に関して委任契約又は準委任契約を締結しており、これに基づいて、被相続人の死後に預貯金を払い戻して同事務処理の費用に充てた場合には、当該払戻行為は、同条2項の「共同相続人の一人又は数人により同項の財産が処分されたとき」には当たらないものと解するのが相当である。
     これを本件について見るに、被相続人が、生前、被相続人の所有する財産管理等に関する今後の全ての意思決定を相手方Cに一任する旨の誓約書に署名押印していることは、前記認定したとおりであり、被相続人と相手方Cとの間には、被相続人の死亡後の事務処理に係る委任契約又は準委任契約があったものと認定するのが相当であるから、仮に相手方Cが被相続人の預貯金債権の全部又は一部を払い戻したとしても、当該払戻行為は、同条2項の「共同相続人の一人又は数人により同項の財産が処分されたとき」には当たらないものと解される。
     そうすると、本件において、相手方Cに民法906条の2第2項が適用される余地はなく、相手方Cの同意もない以上、被相続人の相続開始時に存在しその後払い戻された預貯金について、遺産の分割時に遺産として存在するものとみなすことはできない。」

  • 4 コメント

     本件は、共同相続人の一人が、被相続人の生前、同人との間で、死亡後における相続債務や葬儀費用の支払等の事務処理に関して委任契約又は準委任契約を締結していて、被相続人の死亡後に預貯金を払い戻した場合には、民法906条の2第2項の「共同相続人の一人又は数人により同項の処分されたとき」には該当しないと認定判断し、民法906条の2第2項の適用を否定しました。同条第2項の趣旨からすれば、当然の判断と考えられます。
     被相続人の死亡後に、葬儀費用や相続債務の支払に充てるために被相続人名義の預貯金を引き出したいというニーズがあります。口座を凍結しておらず、手許に通帳やキャッシュカードがあって暗証番号がわかっていれば、被相続人死亡後であっても預貯金を引き出すことができますが、後日の紛争を避けるためにも、相続人全員の合意の下で払い戻しを行うか、上限額はあるものの死亡後の預金仮払い制度を用いて払い戻しを行うことが望ましいです。