いわゆる危急時遺言について、民法976条1項所定の口授、筆記、読み聞かせ等の事実が認められないとして、遺言の無効を確認した事例(東京高等裁判所令和6年8月29日判決)

弁護士

下田 俊夫

  • 1 危急時遺言

     危急時遺言とは、遺言者に死亡の危急が迫り署名押印ができない状態の場合に口頭で遺言を残し、証人が代わりに書面化する遺言の方式で、特別方式の遺言の1つです。(相続Q&A 危急時遺言とはどのようなものですか。
     危急時遺言がなされて、遺言者が亡くなった後に、相続人間で、危急時遺言の効力が争われた裁判例を紹介します。

  • 2 事案の概要

     被相続人Aは、平成20年7月25日に肝細胞癌の治療のためにE病院に入院し、平成20年11月6日に亡くなりました。相続人は、長男(A死亡前の平成19年に死亡)の子(孫)であるX1とX2、長女Y1、二女Y2、三男Y3、夫Z(A死亡後の平成21年7月死亡)の子Y4でした(訴訟の口頭弁論終結時の相続人で、再転相続人が含まれます。)。
     A死亡の1ヶ月前である平成20年10月6日にしたAの危急時遺言(本件遺言)には、Aが、死亡の危急に迫ったので、同日、Aが入院していたE病院において、弁護士であるB、司法書士であるD及び不動産会社を経営しY1の知り合いであるCの3名の証人の立会いの下に、Bに遺言の趣旨を口授し、Bが、口授を受けた遺言の趣旨を筆記し、これをA及び他の証人に読み聞かせた旨が記載され、B、D及びCの署名押印がなされていました。
     本件遺言の趣旨は、Aが所有する株式の全てをY1に相続させ、それ以外の遺産は、X1及びX2を除いたY1、Y2、Y3及びY6(Aの二男でA死亡後の令和4年9月死亡)の4人に等分に相続させるというものでした。
     なお、Aの危急時遺言の作成日と同じ平成20年10月6日に、Aの入院先とは別の病院であるH病院に入院中であったZは、B、C及びDの立会いのもと、Bに遺言の趣旨を口授して、筆記させるなどの方法により危急時遺言を行っていました。
     Bは、平成20年10月17日、横浜家庭裁判所に本件遺言の確認を申し立てたところ、同年12月9日、同裁判所はAが本件遺言をしたことを確認するとの審判をしました。
     X1とX2は、Aが平成20年10月6日に本件遺言したことを否認し、本件遺言が無効であることの確認等を求めて、訴訟を提起しました。

  • 3 裁判所の判断

     原審の横浜地方裁判所は、Aが平成20年10月6日に、入院していたE病院ではなく、その自宅においてBに遺言の趣旨を口授したとの事実を認定した上で、同日に入院先の病院においてAがBに遺言の趣旨を口授したとする本件遺言の記載と口授の場所が異なる点は遺言の無効原因にならないとし、その他X1らの主張を検討しても本件遺言には無効原因がないとして、X1らの遺言無効確認請求を棄却しました。
     X1らが控訴したところ、東京高等裁判所は、B、C及びDらの供述は、口授等のなされた日にちや場所等に関するBらの供述が合理的な理由もなく一致せず、又は変遷しており、いずれも信用できないとして、本件遺言に記載された作成経緯の事実は認められないとして、本件遺言は無効であると認定判断し、原審の結果を覆す判決を言い渡しました。
     B、C及びDの本件遺言の作成経過に関する供述は複数あったところ、その内容は一致せず、又は変遷があり、しかも変遷の理由についての合理的な説明はありませんでした。供述の変遷等があることについて、裁判所は、次のように判示して、供述の信用性を否定しました。
     「そもそも、危急時遺言の作成は関係者にとって極めて非日常的な出来事のはずであり、特定の危急時遺言の証人を務めた者が、多少の時間の経過があるにせよ、その作成経過、とりわけ基本的かつ重要な要素である作成の日や場所について、大きな記憶違いに陥ることや、記憶に基づいて真実を供述しようとしているのにその内容が曖昧、不明確になるとは考え難い。加えて、Cは、本件遺言があったとする平成20年10月6日と同日にZの入院先において、ZがBにその財産をX1らに相続させない内容の遺言の趣旨の口授をしたところにDと共に証人として立ち会ったというのであり、Cらが実際に一日のうちに二つの危急時遺言の作成に証人として関与したのであれば、同人らにとって、極めて印象的な出来事として鮮明な記憶が残るのが自然であり、多少の時間の経過があるにせよ、これに関する供述が曖昧なものになることやその内容が変遷することは考え難い。・・上記の事情に照らせば、本件遺言の作成経過についてのCの供述の信用性は乏しいといわざるを得ない。」

  • 4 コメント

     本件は、弁護士や司法書士である証人の供述の信用性を否定して、遺言の趣旨の口授等の事実を否定し、危急時遺言がいわば偽造されたことを認定判断したものです。
     高裁判決が指摘するように、危急時遺言の作成という非日常的な出来事があったにもかかわらず、遺言の作成経緯に関する供述が証人間で一致しなかったり、合理的な理由なく変遷等がなされたりした場合、遺言作成の事実自体を否定する認定判断になることは、当然のことといえます。